EF60形に続く平坦線区向け国鉄直流電気機関車の標準形式として、1979年までに国鉄電気機関車史上最多である308両が川崎車輛→川崎重工業兵庫工場、川崎電機製造、東京芝浦電気府中工場、汽車製造会社大阪製作所、東洋電機製造、日本車輌製造本店(名古屋製作所)、それに富士電機の各社によって製造された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/国鉄EF65形電気機関車

0番代(一般型)

貨物列車牽引用として、1965年(昭和40年)から1970年(昭和45年)に135両 (1 – 135) が製造された。
非貫通式の運転台にシールドビーム2灯を備える。

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0番代は東京、新鶴見、稲沢第二、吹田第二、岡山、広島の各機関区に新製配置され、主に貨物列車や荷物列車を牽引した。
国鉄時代の塗装は、EF60 0番代に準じた国鉄新性能直流機関車標準色であった。
国鉄分割民営化後は、一部がジョイフルトレインなどの牽引用としてJR東海とJR西日本に継承された以外は、基本的にJR貨物へ継承された。
その後はEF66形100番代やEF210形などの新製機及び、EF65形1000番代やEF64形などの転属機に置き換えられ、2011年までに全車両が引退した。

【JR貨物】
晩年は新鶴見、高崎、岡山の各機関区に所属し、主に東海道本線・山陽本線系統の貨物列車を牽引していた。
塗装は一部を除き、延命工事に伴いJR貨物更新色(3色塗装/2色塗装)へ変更された。

EF65 115は1969年に川崎車両で製造され、稲沢第二機関区に配置された。分割民営化後は高崎機関区、後に岡山機関区へ転属し、2011年まで活躍した。

高崎機関区 EF65 115@武蔵野線 西浦和

500番代(P型)

高速旅客列車牽引用として、1965年から1966年に17両 (501 – 512・527 – 531) が製造され、1968年に基本番台(77 – 84) から (535 – 542) が改造竣工された。「P形」は、「旅客」を表す “passenger” の頭文字に由来する。
従来は20系寝台特急列車牽引用としてEF60形500番台を使用していたが、同形式は定格速度が低く高速運転主体の寝台特急運用に不適当であったことと、寝台特急列車の110 km/hへの速度向上計画が浮上し、EF60形500番台がそれに対応できないため、定格速度の高い本形式基本番台の設計を基に、EF60形500番台と同様の20系客車牽引用装備を搭載した本番台が設計された。
塗色は直流機標準の青15号とクリーム1号ながら、EF60形500番台と同様に特急色と呼ばれる20系客車と意匠を合わせた塗り分けを採用した。両端面の窓周りを含んだ上部とそれを結ぶように上下にクリーム色の細帯を配する。

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【JR東日本】
高崎車両センター 高崎支所に501の1両が在籍しており、非貫通型の前面形状を有するEF65としては唯一車籍が残っている。
記事執筆時点では主に団体臨時列車やレール輸送列車などに充当されている。

EF65 501 9135レ ELぐんまよこかわ@信越本線 横川~西松井田
EF65 501 9451レ クラブツーリズム旧客団臨@両毛線 山前〜足利 2019/04/21

500番代(F型)

高速貨物列車牽引用として、1965年から1966年に17両 (513 – 526・532 – 534) が製造された。
牽引定数1,000 tの貨物列車を100 km/hで牽引する必要から、P形を基本に、重連総括制御機能・空気管付き密着自動連結器・連結器の自動復心装置・編成増圧装置・電磁自動空気ブレーキへの指令機能などを追加した区分である。「F形」の呼称は、「貨物列車」を表す “freight” の頭文字に由来する。

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EF65 520(静態保存車)@碓氷峠鉄道文化むら